福山市の整体は「和整体・整骨院(なごみ)」

院長

院長
青野 聡

私は1978年生まれ、母の実家の西宮市浜甲子園で生まれました。
浜甲子園、どこかで聞いたことが有る響きだと思います。
高校野球の球児が目指すあの甲子園です。
育ちは福山でした。5つ下の弟が居ます。

父が歯科医師で自宅が歯科医院でしたので、
家に帰ればいつも歯科独特の匂いがする環境で育ちました。
小学生の頃は絵を描くのが好きだったり、釣りやキャンプに行くのも好きでした。

働く父の姿や、従業員や患者さんに信頼されている姿を見て
父のようになりたいと思って小学校の時の文集に将来の夢として 歯医者になりたい思っていました。

 

親の他界を通して

患者様へ説明

小学校4年の頃に交通事故で母親が他界しました。
他界する当日に、『植物人間になるかもしれないけど、峠は超えました』医師に伝えられて帰宅しながら、ドラマみたいに毎日お見舞いに行けば目を覚ましてくれるかなとか考えていました。その日の深夜に容態が急変しました。当時の私は医師を信じていたので、訳も解らず大丈夫だよと周りに言っていました。

母が亡くなり最初は落ち込んでいましたが、父に励まされ元気づけられながら育ちました。
中高ではマウンテンバイクで色々な場所に行くことが楽しみでした。
TVがない環境で育った半面、色んな本を沢山集めて読んでいました。

大学受験中に父が胃癌になり歯学部は諦めて、近くの大学へ通いながら父の病院への送迎をやることになりました。
この時の父の言葉で印象が深かったのは
「知っているかも知れないけど医者は病気を治すことはできない」
「手術や投薬では根本的には治っていない、歯医者も同じだけどね」
「抗癌剤はやりたくないけど、周りに理解してもらえない」
母の時も命は助かると言われて安心していましたが同様に父も4年後に亡くなりました。実は最初に掛かった病院は母が亡くなった病院でもあったのですが、そこでの診断は『肝硬変で命に別状は無いでしょう』でした。自分の中に現代医療に対する限界と不信感を感じました。

 

東洋医学との出会い

院内

父が他界した後に大学に復学して東広島でパソコン関連の仕事をしていました。交通事故に遭い鍼灸整骨院を通院する機会があり西洋医学にはない根本治療を行う姿に感銘を受けました。現代医療の限界と不信感を感じていた私は30歳手前で意を決し岡山の朝日医療専門学校に入学しました。

自分自身も5回の交通事故に巻き込まれた事から首や腰に深刻な悩みを持っていました。
朝9時に家を出て帰ってくるのは夜の11時という生活を最初の1年続けていたら、試験の山を越えるたびに40度近い高熱を出していました。今となってはどうして高熱が定期的に出るのか仕組みを理解して対応できますが、当時は苦労しました。学校の先生が発表用にデータを取らせてくれるなら治療をしますよと言ってくれたのですがあまり良くなりませんでした。ある日、治療を受けに行くと『君はもう治ってるから、もう来なくて良い』と言われました。尊敬して居た先生だっただけにショックを受けました。自分の進んだ道は正しかったのか不安になる事も有りました。東洋医学の世界でも色んな先生がいるのは確かです。

それでも頑張って昼間は柔道整復師科、夜間は鍼灸科で勉強する生活を3年間続けました。猛勉強した結果、国家試験を同時に受験して無事合格しました。

普段の生活を変えていくことからヒトの身体は作られていく、これが重要だということは自分の経験から勉強していくにあたり凄く実感しました。 在学中はどうやったら自分の身体を治すことができるのかを考えて勉強することで理解が早まりました。卒業した時の気分はとても爽快でした。

資格取得後に福山に戻り鍼灸整骨院に務めさせて頂いて、その地域の患者さんから多くの支持を頂くようになりました。
臨床に出てからも、患者さんの身体を変えていくためには普段の生活を変えていかなければならない事を益々実感していました。

根本治療のために生活習慣を変えてもらう、これを実現するためにこの地で開業して、たくさんの患者さんに出会っていく中で今の治療を加速させて、そして今あなたを診させていただいています。

 

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